原爆の父と言われる、科学者・オッペンハイマーの半生。
広島の原爆資料館で、自分は大泣きした。爆風が広がってゆく様子をシュミレーションする場所がある。そこでどうにも耐えられなくなり、声を出して泣いた。ここでは展示のあちこちで泣いている人がいるから、お互いそんな人のことをそっとしておく。
ただ科学技術としての原子力利用は大切なことだと考えている。核分裂も核融合もである。例えば原子力発電は火力発電のおよそ7万倍の効率がある。例え方が適当かどうか分からないが、核燃料1㎏で石油73000㎏(73t)分の発電ができるのである。自分としては(ドラえもん的発想ではあるが)原子力乾電池なるものが出来て、単3サイズの電池を入れておくと車が100万キロ走れるとか、そういうのを望んでいるのだ。そうは言っても、自分は物理の試験で0点を取ったことがあり、そのとき先生は〇も×も付けないで答案を返してきた。
映画を見ると辛いだろうと予想してたから、先延ばしにしていた。しかし、やっと見てきた。やはり辛かった。
理論を技術的に実現したい科学者の野望が、やがて政治利用され、軍事利用されるようになる。想定される進行である。第二次世界大戦において、ヒトラーの自害によりドイツが先に降伏し、原爆投下の目標は日本になった。ああ、こんなことで決まるのか。戦後に米国で赤狩り(共産党員のあぶり出し)が行われるようになり、オッペンハイマーはその疑いをかけられるのであった。
どこまで事実なのか確かめようがないのだが、日本人にとって辛い映画であるのは間違いない。事実、日本での公開が妥当かどうか議論があり、米英公開後ずいぶん時間がかかっている。見て、泣いて、憤って、考えてください。変えることのできない歴史です。